本部長通信91  2008年2月14日

空手を習うにあっての心の準備と師範の決意

 空手が健康管理に良いということは、よく耳にするようになりました。しかし、空手はただ身体を動かすだけの内容ではないのです。稽古するものが、気持ちと体が調和するようになるのです。修練を重ねながら、自分が新しい自分として表わすことができるのです。

 空手は、人をねたんだり、欲張ったり、利己的で憎しみ、打算的ですべてを手に入れようとしたり、嫉妬する心を打ち消してしまう訓練でもあります。一人ではなかなかそのような心の状態を解消することができないのです。自分をリフレッシュすることができる環境が必要なのです。それが道場であると強調します。

 道場生は、空手を始めてから、今のような訓練をして、一週間ではなく、一か月でもなく、一年でもなく、全生涯を通じて継続していくことが必要となってくるのです。師範は空手人生を三十四年、柔道人生を六年と、物心がついてからすべて、四十年は武道の道を究めようとしたのでした。最初は身体を鍛えるので精一杯でした。強靭な肉体を目指したものです。しかし、四十過ぎるといかに鍛えても限界があることを知りました。

 そうする中で、師範は、文武両道の道を見出し、その修行の傍ら気持のコントロールを学びました。それで得た結論は、驚くものであり、恐ろしいものでありました。修練をしながら、自分が生まれ変わるような気がしてきたのです。生涯身もだえしながら難しい戦いをするようになったのです。もちろん極真空手を続けていくことは並大抵ではありません。

 友人達は、「そんな空手なんかばかげたことではないか、実際どのような利益をもたらしてくれるのか」と言う内容を懐疑的否定に言うのでした。さらに、近い友人から「いつまでそんなことやっているのか飯など食えないぞ」と何度も忠告もされました。しかし、自己欺瞞を内包していた私にとっては絶対に必要な訓練であったと決断していたのでした。