本部長通信69 2008年1月23日
我が長男の歩み(2)
仙台に帰って、五月には、実家の近くのピーコックマンションに住むようになります。子供たちは三人になっているので、ふざけ始めると下の階の人からの苦情が頻繁に来るようになりました。両親はそれを見かねて、実家に家を建ててくれたのです。平成五年三月にはいくら騒いでもいい家に子供たちは住むようになりました。
私は、両親と暮らす中、一八歳で家を飛び出したものですから、仙台高校卒業後、学問に触れてなかったことに残念な思いがあり、わずかな蓄えを投入して、東北学院大学の経済学科で学び始めるのです。その往き帰りに大道塾がありましたので、早速長男を長田師範代に預けるようになりました。長男は空手が好きというわけではなかったのですが、私が無理やりということでした。長男五歳の春でした。
大道塾少年部での、練習を一週間に何度かするようになっていました。これといった才能は一切見受けられなかったのです。しかし、性格は生真面目で道場に通うのです。親としては心配でたまりませんでした。それでも、長田師範代と武山指導員が丁寧に指導してくださった事を今更ながら思い起こしては、感謝しております。
それから、三年余りたって、私が縁あって、安齋道場の仙台支部の師範代として、空手の指導者として復帰するようになったのです。当然長男は少年部道場生として、親が指導するようになりました。長男八歳、長女七歳歳、二女六歳すべて、道場門下生ということになりました。