本部長通信68  2008年1月22日

我が長男の歩み(1)

 長男はその後二年半の間、大阪天王寺区寺田町で育つわけです。長男が生まれて早速、仙台からも広島からも両家の両親が大阪までやってきます。花の万博も開催されていたので、両家の両親は長男と行くのです。長男は大切にされるものです。九か月目には伝い歩きし、十か月目には歩き始めていました。立ち歩きが結構速かったのです。

 一年過ぎてからは、階段で遊ぶなど、成長は早かったです。親バカで不思議に子供達の中で写真とビデオはダントツに多いのです。妻と一緒に仕事をしていたので、近しい仲の良い、大久保家と一緒に、保母さんをお願いし、すくすく育ったという様子でした。その時のあだ名がシティボーイでした。色白で西洋人のような顔になっていました。

 このとき、私は過酷な仕事のスケジュールをこなしていました。朝は五時から夜は午前様という、睡眠時間が四時間もない忙しさでした。大阪心斎橋に拠点を置き、京都に奈良に和歌山に、眠る暇もない歩みだったのです。妻と共に歩んだので、苦労というより、充実感が子供とともにあったのだと思います。

 一年半が過ぎて、長男にも、妹ができて、よちよち歩きながらも、面倒見るしぐさをするのです。さらに仕事上、和歌山を重点的に抑えるということで、和歌山近鉄駅に拠点を構えていくのですが、その一年後二女が生まれるのです。長男が二歳半の時でした。長男が四歳になるや否や、私の実家の事情で、長男の私が家を継ぐということで、すべての仕事を人に譲って仙台に帰ってきました。