本部長通信67  2008年1月21日

我が長男の誕生

妻の千順さんと出会って、12年の歳月が過ぎ、我が息子は、平成元年二月二八日に誕生しました。東京の都心新宿で身ごもったのです。実は恋愛期間が長く家庭を持つのが遅かったのです。そんな中、家庭を持って一年過ぎても、何の前兆もないのです。二年目を迎えようとしたとき、千順さんとより心を一つにしていました。妊娠という感動の報告を受けたのはそんな時でした。天にも昇る気持ちが今でも忘れることができません。東西線の新宿駅の一つ手前の駅、初台に住居を構えていました。クイーンズハイムというマンションでの劇的な思い出になりました。

クイーンズハイム四階建ての二〇二号室、贅沢にも、四LDKの大きさに夫婦二人でしたからかなり広いマンションということになります。もちろん仕事場兼用でした。それから、仕事の関係上、大阪天王寺区寺田町に移り住みました。時満ちて、わが子長男が西川産婦人科で生まれることになったのでした。

出産が近くなるにつれて、夫婦ともども出産教室でラマーズ法を学ばされました。一緒に出産に参加したいという願望でした。二月二七日から出産が始まりました。一日が過ぎ、共にラマーズ法での共同出産が、なかなかうまくいきません。二日目に入って、医者から破水したので大変だという経過報告を受けました。四三時間が経ってもう限界なので帝王切開の覚悟をしなさいという回答になりました。妻の両親にその許可を受け、無事生まれました。

しかし、妻のお腹には痛々しい帝王切開の跡が今でもくっきりついています。私は頭が下がるばかりです。長男が生まれてから、その病院は一風変わった寝かせ方なのです。わが子は、硬いマットにうつ伏せで寝かせるのです。退院してからも、自分の力で顔を左右に移動させるのです。形の良い頭になりました。日本では珍しい方式でした。その後、うつ伏せの寝かせ方で窒息死したニュースが飛び交ったのも事実でした。