本部長通信63 2008年1月17日
責任者は愚鈍な熊のように
指導者に立つと、何でも見えてきます。すると、すぐに口にして周りの自分の近い人 に話してしまいます。修行者であるときや、一兵卒の時は、見えないことが、全体を 見渡す立場になると、良くも悪くも気がつくようになるのです。 道場に関わるすべての人が、多くの人との接点を持つようになるのです。このことが 、自分の立場でどのような方向に持って行ったらいいのかを検討すると、よく見える ようになります。そこで、道場生や父兄があの指導者から自分が言われているとかと いう話になるのです。 そこで、師範の提案です。指導者はお互い尊重しながら、批判することに関しては愚 鈍で無知な熊のようでなければならないと思うのです。いろいろたしなめたくなりた いときや批判したくなる時は、熊の兄弟になることです。 熊は、よく木登りをします。木に登って落ちて痛い思いをしても、また登っていくの です。生活するところは絶えず木登りする状態のところなのです。 多くの人を指導する場合、熊のように愚鈍で無知を装う根気が必要です。それでは、 師範はそのようにしているのかと問われると、まだまだ十分でないと言わざるを得ま せん。そのようなことに対しては、師範は至らない人の代表者ということになります 。