本部長通信59  2008年1月12日

極真の師としての指導者A

私たちの道場の指導者は、絶対に自分を誇りません。いつの時も、道場で黙々と子供 たちの成長を抱いていくのみなのです。指導者が、父兄に批判されても、周りの人に 否定されようとも、自分を弁明する必要はないのです。私たちは振り返ってみなけれ ばならないのです。どのような指導者になっているかです。 いろいろな道場生の父母がおります。わが子の初めの動機と成長過程の中で変化して 、 指導者に対して不信感を抱くということも起こりかねません。不信を抱かれても、私 たちの道場の指導者は、黙々と子供たちの成長のために真剣に真心を尽くすべきです 。 さらに道場生の父母に対しても 指導者どうしででも自分が正しいと主張していけば 、極度な混乱と混沌がおこり、誰に道場生がついていくか迷うのです。指導者は、師 範が自慢してくれない以上、自分を自慢することはせず、自分を弁解することも必要 ないのです。指導者は、このことを意識しただけでも、絶えず努力しなければならな いはずです。  道場を中心として考えるとき、師範は、精神的な面でどれほど組手をしなければな らないかを知ってほしいのです。試合の組手だけではないのです。    指導者のみんなが、師範に従うことにとどまらず、道場生を逞しく引っ張って ほしいのです。