本部長通信55 2008年1月8日
指導者は聖職の礎
私たちの組織で考えてみれば、師範、師範代、指導員と各使命分野の立場がありま す。 立場は違えども、指導者です。道場がなければならないし、道場生がいなければなり
ません。 最初に、道場生が心から尊敬する指導者にならなければならないと思うのです。道場 生のために、必死に指導する人は決して滅びません。結構私は、無茶苦茶なことを平
気で行っています。財のすべてを道場に投入にて、来月にはどうなるだろうというこ とが結構ありました。道場と道場生のために頑張っていると、損害より利益を受ける
ことが多かったです。自分のためにしないで、道場と道場生のために頑張っていると 不思議に上昇気流の中に突入します。 次に、私が取り組んでみて、極真空手では経済的な余裕は生まれてきませんでした
。それゆえ、生活が大変だから、月給がたくさん稼げるところに行こうとした人は多 くいました。結局そのような指導者は偽物になってしまいました。経済的理由で、自
分で空手を教えたら儲かるかもしれないと出て行った人もいました。自分利益の主義 主張を口実にして、退会した人もいました。 指導者が、物質(金)を中心基準にするか、人を中心基準にするかです。人が大切
か、物が大切かです。私たち指導者は、月給をもらうのではないのです。道場生に投 入した代価、つまり、犠牲の代価で生活するという気持ちがなければならないのです
。犠牲にならず、苦労もせず日々を送る指導者は腐った人間になってしまいます。