本部長通信50  2007年6月4日(月)

子供達


私の家庭には、3人の子供達が育っています。また、道場では道場生という子供達がいます。多くの子供達に囲まれている師範としての人生は、幸せなものです。自分の子供達と、道場生という子供達を比較しても、垣根などないものです。ありがたいことに、師範には二つのパターンのかけがえのない子供達が存在するのです。子育てということを考えてみると、二つのパターンの子供達で、やっと子供達を育てていると実感するのです。
というのも、時間がたった現在、長男が少年部の子供たちを指導するようになって来ました。長女が、指導の先生のサポートに入り、ちょっと主体性の強い次女は、指導員をかってでます。最初に育てた自分の子供達が、道場生の子供達を指導しているということに何か充実感を抱きます。理想的な父親としての自覚が生まれてきます。手前味噌な話で申し訳ないのですが、道場生の子供達は自分の子供達と仲むつましいのです。当然先輩子女達なわけなので当たり前なわけなのですが、それがとても嬉しく感じるのです。自分の子供と道場生という子供達が極真空手という武道を通して一緒に汗を流してくれることに感謝の念を感じてしまうのです。
かつて、私が育ってきた昔を思い出すのです。隣のおじさんが、「悪がき」の私を正座させながら怒ってくれました。隣のおばさんが、仲良くしてくれました。自分と隣の子供の垣根がほとんどなかった昔にタイムスリップするのです。今の師範という立場で、昔を思い出す垣根のない子供達に影響を与える立場にたてるのです、気持ちのよい指導者だなとつくづく感じることができるような位置に立っているようです。まさに理想的な父母の位置であろうと思うのです。
師範にとって絶対に必要な道場生という子供達です。道場で繰る広げられる光景は、一生涯で味わうことができるのであろうかと思う幸福感です。かつて青年の選手を育てている師範代のときがありました。確かに、全日本チャンピオンを育て、準優勝者を育て、充実した実感も残っています。そのときは、師範はその選手が優勝するより、あるいは準優勝するより、その全日本チャンピオンが道場生の子供達を育てて面倒見てくれたときが一番幸福感を感じていました。
それが、今時代が変わって、自分の子供たちが、道場生という子供達を指導しているとなると、幸福感が何倍にでも膨れ上がってくるのです。いずれ、これから育っていく先輩父母の子供達が、師範の子供達から空手を学び、先輩父母の子供達が、後輩道場生の子供達を指導していくサイクル運動が定着すれば、道場の父母も私と同じような幸福感を実感するのではないかと思うのです。このような幸せなサイクルをこれから続けるのが極真会館の私達であると手綱を引き締めるのです。