本部長通信49 2007年6月3日(日)
大会
秋田県において、武心会の大会が行われました。仙台を早朝出るときは、曇っていた天気が、秋田の角館に近づくにつれて、薄日が差し、到着したときには真青に空が晴れ渡っていました。極真会館仙台道場からは、8人の参加者でありました。大会は日ごろの成果を表すところであるから、今までの空手の技術や精神力を思い切って出し切れるところです。また大会は、勝ち負けを競うところでありますから、より強い選手という評価で優勝ということになるし、敗北すれば打ちのめされて反省しながら帰ってくるのです。今日一日が選手にとって勝つか負けるかの勝負の大会ということになります。
大会は、その日のうちに勝敗が決定されていくのですが、大会までの経過ことを検討すべきです。大会は最終結果としての区切りであり、この区切りが終わればまた新たなる出発です。大会を目前にして思うことは、選手が今までどういう環境に包まれて歩んできたかです。道場での練習はもちろんのこと、それ以上に生活がどうであったかです。大会まで選手が一日の自分自身を見て朝夕発展的であったのか消極的であったのかです。一日といわずたとえ一時間においてもどうだったのかということです。積極的であったか消極的であったか問われるのです。
師範から見れば、選手が、道場で今日一生懸命頑張ったか、そうでなかったのか、感じることができるのです。やる気に傾いていた時間をすごしたのか、だらだらとすごしていたのかと問うのです。生活一切のものが引っかかってくるのです。もう少し細かく分析すると、一つの話す言葉にしても、その言葉を中心に、自分は積極的に傾いた言葉を話していたのか、それとも消極的な話をしていたのかということです。一切の蓄積が、大会の試合には出てくると思うのです。
大会において順位がでてきます。しかし、選手として順位は通過点であると宣言します。当然優勝も通過点です。大会に参加するということは、「うれしい」「くやしい」の交差点をはっきり見せてくれたことなのです。頑張って優勝する戦いができればこれは「うれしい」のであり、その反面負ければ、「くやしさ」を悲しげに感じるのです。「くやしさ」を感じる「うれしさ」を感じるは結局大会において強く成されるのです。もっとはっきり言うならば、選手に利益になった場合、「うれしさ」を感じるのであり、選手に損害になった場合には「くやしさ」を感じるのです。
結論として、優勝した選手は、より一歩前進して、喜びの世界と自分に利益なる立場で益々頑張っていくことが重要であります。苦言を呈するならば、これらの頑張った選手が、後退した場合にはそれに比例して「くやしさ」が自然に生ずるということです。というのも、一度勝って、また次に勝ち続けるには大変な努力が必要ですし、安易に次の大会で勝たせてはくれないのです。それゆえ、親の態度と姿勢が重要です。勝つまではあきらめず見守ることです。また、残念ながら敗退した選手は、敗北した以外に何か自分に利益になることはなかったのか、考えるべきです。そして、大会で、自分が感動したことを記憶に留めるべきです。これが、大会での精神基準であり大会の意義であります。