本部長通信45  2007年5月30日(水)

青春


高校時代、私は何度か東北本線の普通列車にのり、上野まで出かけました。片手に受験参考書をもって、夢を育みながら仙台から乗車するのです。当時は、12時間かけて終点に着くのです。上野に着くと、東京という街には踏み込まず、上野の食堂で飯を食べて、また仙台に12時間かけて帰ってくるのです。東京の街に踏み込まない理由が片手に持った受験参考書でした。ある大学を目指していたので、その大学までの偏差値が満たされてないので手前でUターンするという自分の姿でした。入学できる偏差値になったときその大学の校門まで行くぞという決意であったのです。
NHKのテレビで、6大学野球が放映されると、その中の学生になった気分で応援していて、テレビが終わると我に返って参考書片手に受験勉強を始めるという姿でした。「理想は高く天を突き、現実は大地にのめり込む」とう自分の内容にやきもきしながら、しかも、理想はあきらめないという決意の連続でした。当時、旺文社の大学受験講座というラジオ講座があって、高校一年の入学当時からラ講の問題にチャレンジしていました。仙台はラジオ講座の電波が悪く、文化放送でしたが、放送が聴きにくくいらだちながら耳をそばだてていました。親父にねだって買ってもらったテープレコーダで録音しながら夢に邁進したのです。
私の高校時代は下駄と番柄学生服で自転車での学校通い、柔道場で雑魚寝して、おもむろに授業にでて、昼トレーニング、夕方からは本格的に柔道に打ち込んで、夜からは受験勉強というスタイルでした。文武両道を貫くというのがモットーでした。今振り返ってみて、一つの大きな川の流れでたとえたならば、自分の青春は上流の支流のようなものではなかったかと思えるのです。より多くの支流のようにあっちこっち行き、多くの支流が合さって川となって、川の谷間で方向性がいろいろ違ってしまう。東西南北いろんな方向に流れながら、本流を成しはじめる。そのように思えてならないのです。
これが、段々青春の流れによって、支流が本流に合併するように、自分のやりたい方向に導かれて、段々一つの思想の方向をたどりながら青春の目的地に向かって進んでいるようなものでした。この期間において、成長してきたような実感がありますし、その期間において多くのものを学ぶのであります。
そして今、青春の時の思いは、変わっていない自分があります。54歳になる私は、やはり、学問をしようと積極的に論文を書き続け、柔道に代わって、空手道に邁進し、体力は衰えても、気力は文武両道を続けている姿があるのです。青春時代に何を心に抱いたかが人生の生き方を変えていくのではないでしょうか。武道に邁進し、学問に邁進する自分に、酒も、タバコも縁がなかったようです。今でも飲んだり吸ったりせずに、何かを追求する日々が続きます。まさに修行者ということになるのです。類は類を呼ぶということで、出会った妻も不思議に自分に似ているのです。今まじめな充実した家族をやっております。