本部長通信40  2007年5月23日(水)

黒帯


 極真会館の黒帯とは何かというと、当然極真会館の中での重要な位置であり、立場であります。修行年数を刻んで、極真会館の伝統を吸収しながら、極真会館の伝統が息づく立場であります。私たち黒帯が総裁の使命を受け継いで責任を全うする立場であります。黒帯の段位が高くなればなるほど、責任は大きくなると思うのです。
 その使命と責任でありますが、昇段審査を受けて、黒帯になったら自分はやり抜いたのだから、納得してしまうのです。そして、継承したはずの極真空手の伝統を投げ打ってやめてしまうのです。ましてや、道場破りでもないのに、勝手に流派を立ち上げたりもします。
 検証しますと、大山総裁という一人の人が、たった一人世界に出て、戦い抜いたとき、誰がそんなことを認めたでしょうか。非難中傷にあったとしても、現実には日本から武者修行に来た人間が強い相手に勝ったのかだけのエピソードです。かえって勝ったことゆえに反感まで受けたことは想像がつくのです。
 大山総裁の素顔をどのようにつたえたのでしょうか。マスコミが取り上げたからというかもしれません。しかし取り上げるには理由があったからです。その理由は、かつての池袋の本部道場での稽古であり、道場生そのものであったのです。さらに公に、全日本大会であったし、世界大会でもありました。ということは、大山総裁でさえ、位置や立場は個人的にはなかったということになります。どんなに素晴らしい偉業を成し遂げたとしても、世間に対する立場というものはなかったのです。
 総裁の評価と立場が認められたのは、総裁の伝統を受け継いだ黒帯が、稽古や大会で世間の評価をされてからです。つまり、総裁から指導を受けた黒帯が、日本全国で、世界で活躍するようになる版図の拡大によって、総裁の名声が高まっていったのです。最初に総裁の指導を受けて弟子たちが世間に認められるようになり、その版図が拡大したといえるのです。そういう基盤が広がって今の極真会館はあるのです。
 そういう観点に立つと、黒帯が問題となるのです。私たちが総裁の使命を受け継いで責任を全うすることができるかということなのです。総裁の私生活がどうであったとかこうであったとか事実は、確かに審判を受けることはあります。それは、私たち黒帯は真似しません。しかし、空手道における武道を私たち黒帯は追究し、極真会館を守り、防御して、さらに伝統の発展に努めるのです。そのことができるかが黒帯の問題なのです。
 したがって、私たち黒帯のいくべき道のために、総裁は準備してくれたといっても過言でないのです。黒帯が黒帯たらんために今まで大山総裁がいたのです。極真の黒帯の素晴らしさの基準を作ってきたのです。これからは、反対に黒帯が一層大きな責任を持って全世界のために活躍するときなのであります。
 言い換えれば、今までは確かに総裁についていったという活動でありましたが、総裁が亡くなってからは、積極的に活躍する立場に立ってこそ、総裁の位置が歴史に残るのだと思います。