本部長通信37 2007年5月20日(日)
時代の中心に立つ存在
意識改革の問題であります。今の時代に生きている多くの人々は、今の時代の真只中に生きているという自覚があるのでしょうか。自分がこの時代の中心であるとう自覚があるでしょうか。この社会の中で、ある一人が生きているということは、その一人のためにのみ生きるということを意味するものではないのです。その人は、ある家庭に属しているだろうし、また、ある民族、ある国家に属しているのであります。このように数多くの単位に取り囲まれて私達、一個人は生きているのであります。
それゆえ、私達はあらゆる人たちに、極真会館を通して、一致的紐帯を結び空手道の道を模索しながらこの時代の共同体となろうとするのです。この共同体の中から、時代の中心に立つ存在を目指そうと思うのであります。それゆえ、一致団結して空手道という訓練と稽古を受けるのです。このことができるかできないかによって、意識の改革が決定していきます。
何ゆえに意識改革ができて、時代の中心に立つ存在という気持ちが極真会館で生まれるのでしょうか。極真空手には、戦い抜く力を養うからです。押忍の精神で、最後までやり遂げるパワーがみなぎりあふれているのです。その根源は大山総裁の世界のどんな人を相手にしても一度も負けなかったという勝利者としての称号であります。本来ならば私たち一人ひとりができればなんでもないのでありますが、私たちの願望を成し遂げた人を私達は大山総裁と仰いでいるのです。私たちの歩みは途中で倒たりあるいは、敗北したことがあまりにも多いのであります。
大山総裁が世界に武道家たちと一戦を交えるときに、誰か助けてくれないかなと叫びながらいい加減に対処していたならば、私達は極真会館にいようとも思わないし、極真会館を名乗ろうとも思わないのです。それこそ何々団体の館長でいいのです。私達は命懸けで戦い続けた大山総裁の姿を想像するのです。絶体絶命のその境地でも勝つまでは絶対相手の手を離さない、たとえ腰の骨が打ち砕かれようと戦い抜く姿を私達は想像するのです。私たちにとってそのように最後まで頑張る根強いところを稽古や訓練で鍛え上げるのです。それゆえ、自分の人生で困難な道にぶつかる時に多くのエネルギーを極真空手から得て,昇華してしまうのです。意識改革によって時代の中心になりえる私たちなのです。