本部長通信34  2007年5月15日(火)

公的精神で生きる価値


 私は、自己犠牲でしか公的精神は培われないと思います。道場生が多くなればなるほど、道場の所帯が広がれば広がるほど、私の自己犠牲の範囲は大きくなり、それに伴って自己犠牲の価値も増大するのだと思います。道場運営は、手段や方法をもってして運営することはできないのです。ここで、「道」ということが始めて感じることができるようになるのです。ここに生き方の頂点があると思うのです。
道場運営には必ず自己犠牲がついて回ります。犠牲になるには、純粋でなければならないのです。そうでなければ人に笑われてしまいます。自己中心的な人とは、お互い喜べないし分かち合うこともできないのです。それゆえ、道場では自己中心主義ということはあり得ないのです。
道場運営者としての基本的信念は、第一に、道場生全体のためにあると思うのです。もちろん、私はあくまで個人として存在します、しかし、その師範は道場生全体のためにあると、私ははっきり断言するのであります。第二に、師範は、道場生に模範となるべき存在にならなければならないと思うのです。大山総裁はまさに世界に偉人として君臨しました。ゆえに師範として、大山総裁の偉業を汲み取るものとしての生き方をしなければならないと思うのです。第三に、道場生に、個人は、公的なもののために生きていかなければならないと指導できなければならないのです。このようにして果てしなく拡大させていかなければならないのが、師範の心構えでなければならないのです。
師範としの私は、道場だけのために生きてもいけないのです。たえず、地域社会の人たちと手を携えていかなければならないのです。たとえ、自己犠牲がつきものとしても、この「道」を行かなければならないのです。元旦の美しい初日の出を自分ひとりだけで見たいと思わないのです。あらゆる人が眺めて喜んで欲しいとおもうように、人間の本性として、道場生みんなで分かち合えることができる「道」を行きたいのです。それゆえ、私たちは、高次元な願いを持たなければならないのです。そういう気持ちでいれば、発展することができるのです。