本部長通信33 2007年5月13日(日)
本拠地
私は、極真会館仙台道場としての足場を造ってきたのであります。生まれ故郷の仙台のどこに造るかということでした。伊達政宗は、東北を治めるため、はじめ榴ヶ岡の高台にその拠点を築こうとしたのでした。しかし、徳川家康の知恵深い策略によって広瀬川近くの山城と拠点を移されてしまったのです。
いったい、どこにつくろうか?氷が張る時にも一点が問題ということになります。自然現象の中で氷があるか、ないかという境地に不思議さを感じます。ここともあそことも分別のつかない、そこから始まると思うのです。だから、どこが本物かうそかわからないそこからはじまると思ったわけです。極真空手としての拠点造り、それも大山総裁が成し得なかったレベルの充実の拠点ということになりました。
世界にも類を見ない極真精神ということになります。道場生が家族であり、よくコミュニケーションを築いて自然を愛するグループのメンバーということです。そういう時代をこさせなければならないし、今がそういう時だと確信を持って決定しなければならないと思いました。この新たな極真精神は一度氷になった場合には、世界が一度に凍ってしまうというものでなくてはならないと決意していました。
そこで、私が決定した拠点は、伊達政宗が決定したかった、榴ヶ岡の高台ということでした。仙台平野を一望に見渡せるところでした。この拠点では、私の志と共にすることができる同士とともにということでした。当然私について来るメンバーとそうでないメンバーということになります。しっかりした理念、それに向けての空手道ということで、私としては絶対権限で行こうといたしました。誰と共に空手道を全うしたいのかということでした。
どこに絶対権限を抱きたかったかというと、道場生が共に稽古に励みたいという、和気藹々とした場所、何か心安らぎ、新たなるエネルギーの補充基地、そして明日に向けての出発点としての道場を目指すということでした。寺子屋的な切磋琢磨して自分を開放していける雰囲気を造るということでした。2001年7月ついに榴ヶ岡を拠点として出発しました。