本部長通信32  2007年5月11日(金)

人生の最後の終着駅


 私たち周囲を見るといろんな人たちがいます。発展しているかと思えばそうでない人、喜んでいる人がいるかと思うと悲しんでいる人もいます。人間は、誰もが悲しみを嫌うし、孤独を嫌います。それゆえ、人間は、喜びと栄光、そして幸福感を追求するのです。
 人生の最後の終着駅は、最高の幸福を実感しつつ終えることにあるのではないかと思うのです。苦しい修行も、稽古も、孤独や苦しみを求めていくのではないのです。あくまでも自由を求め、栄光を求め、感動を求めていくのです。その環境を造成していくのが、空手道における人間形成であると思うのです。
 かつての弟子で、指導者を目指し、多くの子供たちを指導していた人がいました。私は彼に、まずは自分を治め、次に家族を治めて、よりよい家庭生活を送らなければならないと話していました。人を教えるということは、自分があるいは、自分たち家庭がモデルにならなければならないと話していたのです。空手を教える前に、自分があるいは自分の家族が模範になっているかチェックしなさいとたえず指導しました。
私が特にその弟子に主張したのが、夫婦生活でした。生命の絆を築き、愛を育み、血筋を残していく関係こそ重要なことはないと語り続けました。子供たちは誰を標本とするのでしょうか。それは父でもなければ、母でもないのです。両親の姿を見て子供たちは育っていくのです。空手道における最高の指導は個人としての先生が現場で教えるのではないのです。ましてや、空手技術を教えるのであれば、それだけのことです。その指導者が正しい夫婦として、父母として、子供たちの将来がその指導で見えてこなければならないのです。
私の空手指導は、弟子にとってハードルが高いものでした。なぜなら、家庭を越えてより次元の高い与えるべき人格が空手指導の本質であると主張したからです。一人より二人二人より家族、このように拡大して、その対象を追及していくのがファミリーを主張する空手道であると語り続けました。
家族を除外して、私の指導が正しいとは、一言も公言できないはずです。どこに原点を持ってくるのか、それはいうまでもなく、家族であります。それゆえ、我が弟子には、離婚は人生の敗北と位置づけて指導しているのです。悔しかったら新たに家族を築き上げチャレンジしなさいと話すのです。人生はいつでもやり直しがききます。
私の空手道は、生徒に道場という環境で最高の愛情を思う存分与えたいと思うのです。今振り返って、そういうことができる指導者をこれからは輩出したいと思うのです。今残っている指導者は人生の最大の終着地を目指して努力しているのです。我が道場の最後の終着駅、それは最大幸福を感じられる愛情あふれる家族道場に他ならないのです。