本部長通信31  2007年5月9日(水)

極真空手の真髄に至るには

 本物の強さを求める空手として、私は青春時代追及した極真空手であります。今は在りし日の大山総裁の指導のもと、私の青春を過ごしてきました。どうして極真空手に魅力を感じたかというならば、本当に戦っている姿を全日本大会に見たからでした。
全日本大会を観戦したことが原点となって、私が完全に極真空手をマスターしたいと思い、大山空手道を追求するということになりました。最初に手にした書物がWhat is Karate でありました。大山総裁が空手に対しての骨肉の中の種のような内容でした。
 当然、書籍だけではその内容を体験することができないので、私は、本部道場へと通ったのでした。道場で初めて空手道というものに触れてあまりにもの凄さに驚きを隠せませんでした。組手は実践さながらで、血肉が吹き飛んで、倒れてうずくまる道場生が後を絶ちませんでした。真剣勝負とはこのようなものかと少し戸惑いましたが本物の強さを求めていこうという決意は変わりませんでした。大山総裁の空手道という種と、道場という母の胎内で育っていったという実感であります。私が生まれ変わっていけるのは、この大山総裁の考え方と、道場での稽古であると確信しました。
 道場での私の成長は、まさに極真空手の真髄を極めていくということになったのです。
地方大会に出場して入賞するようになり、決勝戦を戦えるようになり、念願の全日本大会に出場するレベルまで達しました。大山総裁についてきてよかったと自分としての姿が頼もしくも思えたものです。大山総裁を尊敬した私が、ここまで成長するとはと感慨深いものがありました。そのときは、総裁のようになりたいという一心で、慕い焦がれるような気持ちと、自分の肉体が鍛錬されていくことに生きがいを感じていました。
 私は、免許皆伝とも思える昇段状を戴きましたが、総裁のような内容はないと思います。しかし建物の所有権のように総裁からサインしてもらったからには、紙一枚で建物の権利が自由に行き来するように自分にもその価値が付与されたのだと思っています。
 私にとって、大山総裁のような人物が現れたということは、それだけで私の人生を有意義に導いてくれるなにものでもないと実感しています。