本部長通信30 2007年5月6日
稽古の必要性
なぜ稽古が毎日の生活で必要なのでしょうか。
それは、自分の生活を原点に立ち返らせるために必要なのです。稽古で生き方の接触点に触れて、再び我に返るのです。私たちの生活を鑑みると習慣性と惰性を引きずってしまっています。それは、あるべき自分と現実の自分が違いすぎてしまうのです。これは、
自分とまるっきり反対の方向性だと思わざるを得ないのです。それを修正したり、反省したりするのです。自分自身では、到底できないので、神聖な道場で稽古をして汗を流すことによって反省するのです。だから稽古は必要なのです。
この自分を何とかしなければならないと思えば思うほど、稽古の時間で我を見つけていくのです。まさに稽古は、基本、移動、型、組手と、一連の流れの中で、戦闘基準を作っていくのです。誰に対して戦うのかというならば、相手に対してということはあり得ないのです。自分の惰性と良心とどちらが強いのか、比べあいながら闘ってみて最後に自分の良心が残るのです。稽古という神聖な基準において良心が生き生きしてくるのです。
私たちは意義ある人生を送るためにも、生きるか死ぬかという境地を通過する稽古が自分を正してくれるのです。組手はまさに生死の境ということになるのです。そこを基準とすると話し合って組手をするなんていうものではない。やるかやられるか、自分の一瞬の隙が命取りという境地になります。ものすごい緊張が全身をよぎるのです。自分も鍛えてきたけれども相手も強いのです。そのような中、私たちは、お互い組手で生きた感情を持った者として一心不乱稽古で、相手と自分の心情が一つになっていくのが感じ取れるのです。
そして、稽古で勝ったとしてもおごらず、負けても腐らず相手に対して感謝しながら未来の自分の人格を求めていくようなことにするのです。