本部長通信28 2007年4月25日
極真空手の使命
極真空手の使命は何であるのでしょうか。社会の青少年の問題を考えた場合、犯罪に走った少年達が、あるいは、社会からはみでてしまった少年達をどうするかであります、私たち極真空手の指導者たちが、極真空手に引っ張ってきて、本来あるべき人間像の基準を示し、いかにして、再び社会参加できるかを示していくのが極真空手の使命であります。
指導者としての師範が、模範となって実行し、指導するのが、極真空手の使命であります。失われた人間性の欠如、社会人として不足な基準、そのような青少年を更正して補って新たに育てて誕生させてこそ、極真空手の指導者といえるのです。
極真空手は,喧嘩空手として、伝統ある空手界から批判され、叩かれ、なんら弁解もせずに、黙々と歩み続けてきたのです。しかし、時には映画において、史上最強の空手として紹介され、全日本大会がテレビで放映され、世界の大山倍達が劇画で多くの青少年に影響を与え、ただ黙々と存在意義を示してきたのです。私も、弟子として、私自身が戦って、勝利して切り開く道をきたのです。
極真空手は、今や、誰からもとやかく言われないほどの貴重な影響力を持つにいたったのであります。指導者の私も、数多くの弟子を輩出できたのであります。
このような時を迎えたということは、これ以上幸せなことはないのであります。
しかしながら、本当のミッションはこれからなのです。青少年たちに対する、教化は命がけの立場において、真正面から取り組んで、なおかつ、先頭に立ち得なかったら説得力がないのです。青少年たちに対して一番問題になるのは、本気になっているかということです。いわゆる子供たちに命懸けに取り組んでいるかという自主性であります。自分は師範だから、命懸けにならなくても子供たちから迎えられると思ったら大間違いなのであります。当然師範として体格があり、外見的に見ても遜色ないということでは、どうしようもないのであります。これから、私は、冒険の道、命懸けの道を追求してこそ本来のミッションを果たせるのだと思うのであります。