本部長通信26 2007年4月23日
生涯の空手道(2)
私たちが深く考えなければならないことは、いかなる空手道を追求するかということです。それは、社会の人たちの希望をこの空手道を通じて実現していくことなのです。
それでは、空手道を追求するわれわれはいかなる人物にならなければならないのでしょうか。空手道が今まで道を追求してきたわけですから、空手の歴史の結実体になることは言うまでもありません。それは、まさしく世間一般の人々に対して空手を通して確固たる主体性を保つものでなければなりません。私でなければならないという自信を持って社会を協調せしめる人物ということです。
さらに、いかなる作戦を展開させなければならないでしょうか。当然誰も嫌がる、動こうとしないところから作戦は展開されるべきです。若いときの苦労は買ってでもしなさいと昔の人は語っています。まさに自分を犠牲にして誰もついてこようとしなくても、空手道の境地を追い求めていくのだという決意に他ならない作戦の展開なのです。
それでは、いかなる空手道かというと、社会に貢献する空手道に他ならないのです。
民意に一致する道、歴史に一致する道、広大な地球に一致する道、ということなのです。だから大山総裁が世界の大山と呼ばれたごとく、私たちも世界的な空手道として貢献すべきなのです。
今回、道場職員の一人が、町議会議員に立候補しました。それも無謀にも告示日の一ヶ月前という時でした。まさに、極真精神が問われる選挙という舞台でした。本人の内容を分析すると、選挙に勝てるだけの徹底的な実力を保って、選挙を打破できるだの実力も備えも保っていたのかと問うならば否でした。
選挙の開票の時間が終わりに近づいて、落選の知らせが届くような際どい状態になりました。本人の苦難と受難あふれる表情は、張り裂けんばかりでした。しかし本人が持っていた極真精神は社会のために黙々と働きたいという信念でいっぱいでした。本人は日ごろから見えない至誠を尽くした人でした。最後の最後に、まさかの当選確実が表示されたのです。まさに、最後の勝利を勝ち取ったということになったのです。これこそ 負けても勝つという極真の精神であり、天地が守りうる最大の戦法だったのです。空手道はこのように追求したいという標本になったのでした。