本部長通信19  2006年11月22日

極真空手が訴えるもの


 人間は、生まれた時から人にまねすることのできない個性をもっている。過去にも現在にももちろん未来にもない個性である。両親の温かい愛情に育まれて健やかに育っていくのである。豊かな自然は子供たちの成長を促すかのようにあらゆる学習内容を与えてくれる。まさに大きな遊園地である。
 子供たちは家族の中で、成長のためのコミュニケーションをはかり、幼年期、少年
期、青春時代へと可能性を求めて巣立っていく。当然、家族だけには止まらず学校や地域社会に溶け込んでいくようになる。その対応能力は目を見張るばかりである。この人間の能力がまさに正しく身についたらどうなのだろうと考えるのである。
 しかしながら保護司としての立場から、多くの罪を犯した子供たちに触れ、あまりにも乱れた実態に触れるとき可能性ある子供たちの個性が何らかのかたちで蝕まれ本
来の個性から逸脱した内容を身につけていくのである。耐えがたい惨状に触れるときに、遺憾ともしがたい心を抱くのである。
 極真空手は、正しい心、素直な心を育てようとしている両親が直接語れないこと、
指導しても難しい局面に役立つのである。つまり家族における養育がかりを買ってでるのである。養育係は礼儀作法やあいさつ、様々な人間関係での立ちふるまいを極真空手の伝統がやさしい心とたくましい身体へと導くのである。