本部長通信17  2006年11月22日

極真空手の精神は永遠


極真空手は、永遠不滅であると大山総裁は私たちに語りかけていた。極真空手は、私にとっても、青春の全てであり人生の指針になっていた。指導者は、昨日入門した子供でも、長い年月を費やしてきた子供でも、極真精神の全てを投入するのである。指導者にとって手抜きはないのである。
父兄会のとき、私は、極真空手を習わせたがいつまで通わせたらいいのかと尋ねられた。幼稚園のときだけよいのか、小学校までなのか、さらに中学生、高校生、大学、一般社会人といつまでですかと尋ねられた。もし、学校に通っている時だけですよと答えるとしたら、私としてとれも気分はよくない。私はいつまで空手を続けるのですかと問いただされたら、一生続けることを望むと答える。
ところで一生の間空手を習うということは、未来を中心として全体を指していると思うのです。極真空手の精神を貫こうとする人に対しては、指導者は、自分のものを根こそぎ与えるということです。いつまでもということは、全体を指すのであり、すべてを指導するぞという決意なのである。そのように指導者が立っているとき子供たちは喜ぶのである。
指導者は中途半端なことは絶対にできないのである。子供たちが極真空手の精神で人生を切り開こうという姿を見るとき、指導者の武道に志したときからの精神、体力、技術、あらゆる総合されたものを惜しまず投入するのである。仕方がありません。そのような子供たちに無条件に指導するようになるのである。 これは、指導者としての当然のことであり、真実なのである。指導者と子供たちをたとえて言うならば、大恋愛したカップルが結婚式場で宣言する誓いは、10年間だけ結婚生活をしましょうと宣言するのではないのである。このように子供たちに、極真空手の真髄、精神を完全投入として指導していきたいのが極真魂も持った指導者であることは言うまでもないのである。