本部長通信13  2006年1月18日

極真会館本部での修行


 1984年 仕事の都合上、私は上京することになった。当時29歳、黒帯取得二年目であった。池袋の本部道場三階の応接室で大山総裁に挨拶をさせていただいた。会社経営しながらの一般部での黒帯は当時珍しくもあった。総裁との話は尽きなかったが、最後に「君、本部にもう少し若い頃来なければダメよ。」と話された後、若い人たちの稽古を見てくれと指示を受けた。本部での稽古は3回午前、夕方、夜と仕事の合間に練習時間をみつけては参加した。その時の七戸氏、石井氏、松井氏、が稽古の中心になっていた。極真空手を映画やマスコミで取り上げられていた時期だったので、本部に入門生が殺到していた。私は道場の下の別室での初心者指導が多くなったが本部での組手は激しいものがあった。稽古が終わった後、総裁がいらっしゃる時は道場に下りてこられて、空手の心構えと空手母国日本は勝ち続けていかなければならないと絶えず強調されていた。この時期が私にとって極真空手という栄養素を吸収した基盤となった。この期間が本部での充実した期間であったし、大山総裁から直接指導を受けた一瞬一瞬であった。私はその一瞬で貴いものをつかむことができた。