本部長通信11  2005年12月12日

極真空手の[真]


私は極真空手の[真]の意味合いを自分なりに経験を通じて感じたことを追求した。 といういのも、道場でも、みんなが極真空手を学んでそれなりの自信とか学ぶ動機付けをすべきであろうと思ったからである。なぜなら、空手のスタイルが、定着し、極真空手が提唱する直撃打撃が国境を越え、全世界に広がっているからである。
 そこで真を極めるというその[真]は、極真空手を習う道場生にとって必要不可分の目標になる。我々は、道場の稽古も、ライフスタイルも、極真空手を通じて[真]なるものを極めなければならないたちばである。極真の道をまっとうするのが目標になるのであり、[真]が極真空手で中心にとどまるのであり、その姿を体現しなければならないのである。
 ところで極真空手の[真]がとどまりえる場所はいったいどこなのだろうか。空手で修練する中稽古の中でその実体にとどまり、当然生活する周辺にとどまらなければ意味のないことである。また極真空手の[真]が一番尊い概念であるとするならば、稽古する中で自分が一番大切にしておきたいところにとどまりたいのである。
 すなわち、誰にも触れられず、関与されない、自分だけが絶対的に管理し得るところに置くのである。それは人がよく貴重品を入れておくような所に置くのである。それはどこか、まさに自分の極真魂、心の深いところ、心の一番深いところに埋めておくのである。