本部長通信7  2003年3月11日

社会が求める極真空手


 今の社会において極真空手が願われることは一体何であろうか。すべての質が向上することに他ならない。まず、極真空手において、社会的認知が絶対的に必要である。そのためには、極真の道場生一人一人が自覚を持って最良の人生を模索することが大前提である。社会的認知とは、具体的な例を挙げるとするならば、オリンピックの競技になることであり、学校の教育に認められることであり、国や地方公共団体に承認されることになることである。社会的認知の上に武道として歩みだすとき極真空手は、将来に大きな夢が広がってくるのである。
 ところで、創始者大山総裁は一体何ゆえ極真空手を持って社会的認知をされたのであろうか。大山総裁は、他国から一人日本という環境の中に身を任せ、苦労しながら試練の途上の中においても極真空手に対しての一念だけは絶対的なものとして戦い抜いた人生であった。今までの歴史的環境、あるいは事情の環境があったであろうが、そこから世界に出発した。全然知らない異郷の地、そこには数多い艱難が待っていることは総裁自体が知っていた。しかし、大山総裁の極真空手に対する情熱は本当に極真空手を愛する心、最強であると信じる心があったから社会的認知をもたらしたのである。総裁自体、いつでもカラテを辞めることはできたのである。
 しかしながら、最後まで突き貫いてカラテを慕った大山総裁こそ、その情熱が社会的認知をもたらせた唯一の決定的要因であったことは間違いない。極真空手を世に広めるとき、他のあらゆる団体からの迫害があったからといっても極真空手への情熱や決心といったものは、その迫害を乗り越えていくに有り余るものがあったに他ならない。
 極真空手は世界的規模で持って膨張した。その中での大山総裁が願う社会的地位の確立は、組織の整理でもなければ、会員生制度でもない。どんな大きな組織でも利益を追求すればいつかは終焉がやってくる。極真会館が小さかったとき、大山総裁が存在しこの組織を起こしていった。そこにはカラテに対する情熱に満ち溢れていた。私達が原点に返らなければならない事は、一人一人が大山総裁に似ることである。正しい舵取りができるリーダーなどいるはずもない。極真空手は組織力で持って社会的認知を受けるのではないのである。まさに大山総裁の志を受け継いでその生き様を表して、社会的認知を受けるのである。