本部長通信5 2003年2月23日
武道家としてのあるべき態度
武道家として心がけなければならないのは、人権と環境を蹂躙してはいけないということである。武道を志すものは、人権と環境の公的なすべてに関して蹂躙してはならないという思想を徹頭徹尾持たなければならない。森羅万象のすべてに関して大切にする心、家族を大切にする心、民族、国家は勿論、世界人類を大切にするという心を持たなければならない。そうでなければ、極真空手の目指す世界は実現しないのである。極真空手を通じて、多くの関わりある人々と環境を大切にするということである。私たちは、人にも環境にも優しい心を育てなければ武道家としての誇りは持てないのである。乱れた世の中であればあるほど、人権と環境を尊重し重要視することができなければ、ただの暴力を学んでいるのとなんら変わりないのである。
私たちが暮らしている家が大切であり、食している食物が大切であり、着ている着物が大切であり、私たちが携えている生活の基本も勿論大切であるという認識が必要である。特に空手は、心身を育てるわけであるから、私の肉体も大切にしなければならないのは言うまでもない。このような立場で私達の一身を通してお互い尊重しながら生活をすることを願うのが武道家として当然の道になるのである。ゆえに尊重する心を度外視して対処してしまえば、良き結果は生まれないのである。
しかし、道場において先輩であるといって、後輩を大切にしない風潮が生まれるとしたらそれこそ残念なことに他ならない。自己中心的な気持ちで後輩に接するとき、後輩は傷つき、このことで道場に足を運ばなくなるのである。後輩に責任を持つということは、大きな心、広い心を先輩として育てていくことに他ならない。さらに、先輩として人の道に外れるとしたならば、極真空手をやる資格などどこにあろうか。青少年の健全な育成のために先頭に立たなければならない指導者がいい加減な気持ちで生活してはならないのである。
しかるに、武道家は、誤った人々を大きな心でもって指導できる人間像を目指すと共に、自己研鑽に、磨きをかけていくべきなのである。このような立場に立つとき、極真空手を通して、精神の共有、技の共有がなされ、大いなる偉業が道場を通して築き上げることができるのである。初めてここに道場としての面目を立て得るのである。私達が心に留めておかなければならないことは、人権と環境を決して蹂躙することなく、一生かけて空手道をまっとうしてほしいということである。