本部長通信3 2003年2月11日

極真空手の稽古


 極真空手は、稽古をもって始まり稽古で終わる修行の自己練磨の場所である。
この極真の稽古に参席した私達は、汗と涙を流す稽古に在籍したことになる。この場所は、止めることのできない汗と涙を流す場所になる。
 ここに私達は何で持って参席すべきか。私達の心身のすべてであり、外的に身体を動かすことではないのである。自己管理であろうが、選手を目指すことであろうが、魂のすべてを投入することになる。稽古に臨むということは、喜怒哀楽は勿論、勝負の悔しさであり、心の奥深くあるすべてを確認することができる気持ちを用意することになる。稽古で流す汗と涙は、お金に換える事ができない無限の価値を生み出すのである。このような心が稽古の中での中心心情としてにじみ出るとき、初めて極真の精神に触れることができるのである。
 では稽古とは何かというと、極真精神を厳粛に相続することができる場所ということになる。私達が極真精神を相続し、私達自体にこの精神が留まる事によって稽古をしたという実感が生まれ、この感性を持って稽古に参加した資格者になり得るのである。これを再三心に留めておかなければならない。 このようにして初めて稽古の中で、すがすがしい感動が私達にもたらされる。苦しみの中であったとしても、稽古が終わった後に、すがすがしい感動が用意されていることを私達は忘れてはいけない。その中にあって、新しく私達が何か違った気持ちを得るのである。それは、良き自分の姿を見ることであり、自己発見の第一歩が始まることになる。