本部長通信 2003年1月28日
空手道に対する創始者大山総裁の思い
創始者大山倍達は、極真会館を創設するに当たり、空手道に対する理想を持っておられた。その理想は、今の極真会館をはるかに上回るところに置かれていることには間違いない。
その理想は、創始者大山倍達の心の中で育てられ、創始者と共に成長し、その心のベースの延長に今あるのではないか。極真会館の存在は、創始者の偉業を広め、そのベースのうえに、空手道を通じての人間完成の目的を立てているのである。
そして、その土台の上に、変わらざる創始者大山倍達の提唱した「頭は低く、目は高く、口慎んで心広く、孝を原点として他を益する」という極真精神が、空手道を通じて人格の淘治と心身の鍛練をはかり、社会貢献を遂行しているのである。それは、我々に対する大いなる福音である事は間違いない。この福音は、我々だけのものではなく、創始者大山倍達の心の延長のすべてが加担されての恵みに他ならない。 この空手道を通じて極真精神が自分自身に身についたら、勝利と栄光が充満した人間として成長するだけではなく、勝利の表示体として、誰もが認めざるを得ない、極真精神を持った人物を作り上げていくに違いない。そこで初めて、創始者大山倍達の偉業が一人一人の弟子に伝達されたことになるのである。ここに、極真精神の価値があり、本当の極真会館の建設があるのである。このことが、創始者大山倍達の要求であり、願いだった。
そのような結果をもたらすべきであったのにもかかわらず、考えられない分裂騒動が展開してしまった。我々極真会館の苦痛が始まり、同じ弟子たちが、派閥を作るなどすることが、まかり通るようになってしまった。まさに、本来の理想から離れた極真会館であるといってよい。
このような状況を見つめる天国の創始者大山倍達の悲しみはいかばかりか計り知れないものがある。世間の人たちにまで、不信を抱かせる状態になっていることは間違いない。 この状態とともに、今後この状態を繰り返していくのであろうか。このような、極真会館を放り投げていいわけはない。再び大いなる本然の意義を立てていかなければならないのである。
この極真の道において、創始者大山倍達と弟子たちの曲折はぶつかっていることを我々は知っているのである。このような、さまよう極真会館をそのままにしてよいはずはなく、これを見つめる創始者大山倍達は、その意図をしっかり立てているところを保護するために立ち上がるはずである。