2021年2月4日(八段語録3759)
極真手塚グループの誤解を解く


 極真の道を歩んでの感想ですが、才能があって素晴らしい人が、栄光の道を行くという事ではないという事です。稽古を積んでいくと、道場生は素晴らしくなるのです。それだけに、胡坐をかいて、居座ってしまうと崖から転がり落ちてしまうのです。現実を振り返ると、指導者として残っているのは、ごく僅かな一握りの人だけなのです。確かに極真は権威があります。しかし、道場生の頑なさが滅びに至ることが多いのです。今日表現することはボタンの掛け違いという事です。上着のボタンは、何個か並んでいます。そのボタンを正常に掛けるという事です。第一の誤解は、極真空手そのものにあるという事です。第二の誤解は、人が慕ってくれるだけの人格の無さにあることで、実践空手を世界中に普及する事を拒んでしまっているという事です。
 それでは、第一の誤解についてですが、極真空手だけが正当であるという主張です。これは間違っています。確かに元祖のようではありますが、あくまでも出発点であって、拡大している実践空手団体と協調すべきです。確かに差異はありますが、区別すべきではありません。同じ空手を共通項とする武道団体であるという事を忘れてはいけないという事です。私から離れて団体を立ち上げた指導者もいました。もちろん、しこりのようなものはありますが、だからと言って無視するという事ではないのです。私の人格の無さもありましたから、同じ武道家として、尊重するのです。このデリケートな部分に関しては、私の心の熾烈な戦いはありますが、大切にするという心構えで協調路線を敷いていきたいと思っています。
 第二の誤解についてですが、他の団体は他流派だから信頼すべきではないという意識です。これに関しても、徹底的に他流派を尊重します。信頼して、協調して、手に手を取っていくという気持ちでいるのです。心の葛藤は乗り越えるべきなのです。確かに大山総裁時代は、他流派の実践空手家は少なかったのです。時が流れるにつれて、多く繁殖していったのです。これからは、実践空手が全地に響き渡り、地の果てまで届いていく時代になっているのです。極真で稽古をしていない指導者であっても、実践空手は世界中に広がっているのです。それだけに、指導者の人格と包容力が問題になってくるという事です。
 結論として、これからの私達は、誤解を解いて世界中に実践空手を伝えていかなければならないのです。世界中に遣わして、宣べ伝えなければならないのです。途中で鎖を切ってしまっては途切れてしまうばかりです。かえって他流派の指導者が極真の指導者に妬みを起こさせるほどの活躍をすれば最高に恵まれるという事です。私自身、極真空手を通じて、無条件に高速道路を走るように恵まれた人生を過ごすことが出来ました。その恩恵があるがゆえに、今も現役で戦い続けることが出来るというものです。社会の為の貢献するのが、私達の使命であると考えるのです。