2021年2月3日(八段語録3758)
的外れでない熱心さを持たなかった事による極真空手の道
極真空手に出会って、今日まで、一直線での修行の道というのが、我が人生ということになっているのです。高校生まで柔道の稽古をしていていたのが、武道ということに関しては、それなりに理解していたということがあったのでした。それが、極真空手を継続修行できた理由でもあったのです。極真空手が私の青春時代に存在していたという事実、そして、私がこの極真空手を継続してきたという事実が、今の自分を存在させているのです。今日は第一に私の願いということに関して表現します。第二に、何が何でも極真空手を続けるという信念です。第三に、手塚会長という素晴らしい人格者の出会いによる恩恵ということに関してということです。
第一に、私の願いということに関して表現します。個人的願望としては、団塊の世代の末期という事もあって、一流の大学を目指して知識を詰めこんで社会的地位を得ていくということでした。しかしながら、私は遂行して行ったつもりでしたが、武士の血が騒ぐということだったでしょうか、肉体の錬磨ということに、心血を注いで生き甲斐になって行ったのでした。その意欲が高まってあろうことも、最も過激であるといわれた極真空手を選択するということになったのです。結局、私の熱心さは、知識欲によるものではなく肉体練磨による強靭な肉体強化という生き方へと特化して行ったのでした。熱心さが知識によるものではないということに変更したことは、人生の皮肉ともいうべきことになったのでした。
第二に、何が何でも続けるという信念です。極真空手の修行においては、この姿勢は吉と出るか凶と出るか賭けのようなものでした。このバカ真面目な姿勢が、功をそうしたということになりました。快楽や他の興味に目を移すことなく、続ける結果になったのです。多情多感な青春時代であるはずでしたが、欲望を肉体強化という、極真空手だけで強くするという信念だけが襲ってきたということでした。自分自身の信念での義を求めるというよりは、極真に飲み込まれ、結果的に義を求めるということになったということだと思っているのです。ロケットで宇宙へ飛び立つような飛躍を得たということになったのでした。
第三に、人との出逢いによる恩恵ということでした。極真空手の修行は、何の保証もない状態でした。それだけに、世間の藻屑となるか、天に引き上げられるかは、人智で計り知れないものがありました。その出逢いというのが、手塚会長との出会いということになりました。手塚会長は私の恩師であり、日常茶飯事、会話が絶えなかったのです。常に5、6時間はあっという間に過ぎてしまいました。それだけに口で告白し、心で信じる関係が生まれたのでした。私にとって手塚会長は、紛れもなく、固く吸えられたセンターストーンということになったのです。
結論として、私の人生は極真空手に対して非常に熱心であったということです。また、その熱心さは、知的好奇心ではなく、ただガムシャラに、手塚会長と共に歩むということでした。手塚会長の人間性と人格を信頼したが故に、得られた今の人生ということなのです。私にとって手塚会長は、人生に必要不可欠な指導者であったという事であると確信しているのです。