2021年1月8日(八段語録3757)
無気力な人を生かす極真空手


 最近は、精神的な病が多くなっているのです。使命感・義務感が多くなってくると、押しつぶされるという事が多いのです。自分が自分で重荷を背負うという事になる訳です。それは、自分が苦しくなるということは、成り行きという事でしょう。そこで、極真空手という精神的バックボーンが内住していれば、鬼に金棒という話になるわけです。その結果として、平安と安らぎがあるという事です。第一に極真に入門する前、第二に極真に入門して継続しての様子、第三に将来これから起こるという事を述べていきたいと思います。
 第一に、極真に入門する前にという事です。以外と精神的に充実していない状態であると、否定的解釈をする方が多いのです。もし、極真空手を通じて道場に通っているとするならば、精神が内住するのです。けれども、極真に入門する前は、信念を貫くバックボーンは薄いのです。つまり、いつもの習慣性の中に埋もれているという事です。全面的に古い性質に影響を与えられているという事です。習慣性の中で、物事を考えていくとするならば、古い性質の中で生きて埋没してしまうのです。
 第二に、極真に入門して継続していくとするならば、今の状態が維持されるのです。極真精神に影響を受けているという事です。極真がその人を生かすという事になります。確かに道場での修行なのですが、極真精神は道場だけの事ではなく、日常生活に影響を与えるという事なのです。極真と生活を分離することなく、生活するならば極真精神が日常を守ってくれるという事になります。私も生活の中で実感するのですが、規則正しい生活を務めてするようになりました。最近は年齢が高くなっているので、睡眠時間を多く取っているのですが、一日でやるべきことをしっかり心の中に描いて生活するのです。
 第三に、将来これから起こるという事についてです。私が経験したことも含めてですが、何かしら道が示されるような気がするのです。ただの極真という事ですが、継続が力となって、いつの間にか方向性が示ささるようです。道場での師範の立場、このグループの会長になる等、さまざまに良い影響を与えて頂いたということです。もちろん、家族が充実していることは言うまでもありません。極真精神が内住するという事が、人生を切り開いているという実感があります。
 結論として、大山総裁、手塚会長、先輩達、道場生と様々な人たちによって影響を与えられるのが極真精神であると思うのです。それぞれの人達は分離不可能なのです。私達の生活は極真空手を中心において、物事に当たるとするならば、解決の糸口が見出すことが出来るというものです。礼儀・挨拶を徹底するものですから、悪い事に関しては敏感に反応して、決して実行しないという気持ちになります。悪い事をしない生活習慣が身に着くというものです。つまり、罪を犯さないという前提で生活することが出来るという事です。そのような姿勢が貫かれると、気力が充実して、何かに挑戦したいという事にもなります。