2021年1月1日(八段語録3754)
何のために極真で生きるのか


 元旦に書き記します。実に大切な事であるという事を道場生は心に留めて下さい。人生の成就のために、人生の旅路を示すという事でもあるのです。第一に去年と今年の分かれ道が大晦日であったように、古い自分との決別をするのです。第二に新しい自分の出現を述べようとするのです。
 第一に古い自分との決別という意味で表現していきます。自分自身の力量調査をするという事が大事です。確かに成長をしているのですが、爆発的な成長を遂げているとは言い難い面が多くなるのです。どちらかというと「つぶやき」や「不満」が成長を邪魔しているのです。周りの環境に責任を転嫁するようにもなるのです。謙虚さを欠いて、自己中心的発想で、堂々巡りをしているのです。社会は良く映るのですが、その社会に呑み込まれてしまう自分を見出して、怖気ついてしまうのです。結果的に絶望して、いい加減な自分という存在を前面に出して、不自然な生き方をしてしまうのです。結局死んだ者のようになってしまうのです。荒野をうろついている人生を嘆くと同時に、何の実りもない生き方を続けていくようになるのです。思い出や記録も少ない単調な日々を過ごすという事です。そのうちに、自分を理想とする目標を放棄するという事態に陥るわけです。
 第二に、新しい自分の出現という事で述べていきたいと思います。人生を侮辱するようになると、蝮の毒に犯されていくのです。ところが、極真の稽古を積み重ねるにつれて、人生の戦いに勝利する術を身に着けるようになるのです。そこから世間に対しての視野が大きく広がっていくのです。人の世では、嫉まれることは多いのですが、嫉む人でもいつの日か祝福するようになるというものです。結果的に、自分の力量調査をすると、大いなるものに輝いているという事を自覚するようになるのです。そして、勝利の味を知ると約束された栄光の一部が手に入るようになるのです。もちろん、ここで満足するという事ではいけないわけで、更に進軍していく自分の姿を見出すというものです。私自身、人生の路程を回顧するのですが、極真での修行が、大いなる恩恵と栄光を与えてくれているという事実を目の当たりにするのです。
 結論として、極真に対しての信頼と従順が最高の誇りにしなければならないのです。もし稽古をしなければ、一挙に駆け上れる人生の栄光が、荒野を堂々巡りに呑み込まれてしまうのです。しかしながら、人生の約束の地を目指すエキスが極真にはあるのです。人生の栄光の約束の征服が目の前に広がるのです。後は、稽古を継続する中に、希望と栄光を手にするヨルダン川を渡るだけです。極真空手は私に対して様々な教訓を示してくれました。それは感謝でならないのです。それだけに、道場生が一人でも落伍する事がないようにしたいものです。これは極真で稽古をする道場生に対する警告です。荒野をさまよっては、いけないのです。人生を先に進める手段が極真の稽古にはあるのです。放浪の原因は稽古をサボるという事にあることを十分に理解して下さい。人生のヨルダン川を渡ることが出来なくなってしまうのです。自分自身を蝮の毒で滅ぼしてはいけないという事です。