2020年12月22日(八段語録3750)
将来の輝きへ


 今まで、苦難には意味があるという事の表現をしてきました。「生みの苦しみ」という事でしょうか。目的を達成するためにはどうしても通らなければならない道という事でした。それで、今回は、第一に人生行路という事です。第二にどのような発想するならば成就することが出来るかという事での内容で進めていきたいと思います。
 それでは、第一に、人生行路という事での話に移りたいと思います。人生設計は欠かせないのです。計画を短期プラン・中期プラン・長期プランとして描く必要があるのです。この中での主体は、自分と思うのでしょうが、全ての要因が含まれているのです。特に、私の実感として、見えない神の手の導きのようです。動作の主体があって、それによって、動かされているような気がするのです。それが、まさに自分の為に益になるというものです。特に私の場合は、極真空手を愛するという事が動機になったのです。この愛着心が、とてつもない理想へと向かっていったのであり、将来の輝きが増し加わり、栄光への道へとつながっていくのです。極真を愛した者として、守りと導きになったのです。当然「益となる」は自分の発想とは全く違った現実になったという事は言うまでもありません。というのは、財産が豊かになるという事ではなく、地上最強の姿に変貌していくという事でした。当然、稽古における苦難は将来の輝きのトータルプランの一部であるという事です。
 第二に、どのように発想するかという事です。人生がどうであれ、➀事前に極真の知識をもったのであり、②入門という行為に至って、③日々稽古をしているという道場生であるという事です。そこで、➀の最初に極真空手を知ったという事の素晴らしさであります。私の場合、マスコミが騒ぐ前に柔道の講道館で稽古をしていた時に、うわさで知ったという事でした。②何気なく聞いただけでなく、何か予感がしたのでした。そこで実際に総本部へ行ったという事でした。また、それに伴って、大山総裁の講演を聞いたという事も動機になったのです。事前の知識を持ったのであり、あのような人物になりたいと思ったのでした。③それで、極真の門を叩いたという事が栄光への輝きの始まりと位置付けているのです。当然、入門してからは稽古でもって、襟が正され義の冠を被ったという事にもなったのです。その出発点が栄光への始まりであるという事は言うまでもありません。
 結論として、道場生一人一人は、間違いなく極真における守りと導きがあるのです。しかしながら、途中で挫折するならば、全てが無為に帰してしまうという事は間違いないのです。極真の稽古を継続するという事は、運命論とは全く違うのです。極真を信じ継続する者達が到達する道であり、栄光の輝きに至るというものです。間違いなく、極真精神を中心とする必要があるのです。もちろん、私の期待通りに人生行路が進んできたわけではないのです。それでも、ゴールは地上最強に至ることであり、手塚会長を中心とした理想家族を世界に築いていくという事です。そして、私がその一人になるという事なのです。それが栄光への道であり、将来の輝きへ向かっていくという事になるのです。