2020年12月20日(八段語録3748)
苦難が栄光への道


 生き方の前提は、性善説に基づいて発想しているのです。過去において、極真に出会ったという事は、正しい冠を被っているという確信です。そして、現在身悶えしながら、正しい道を踏み間違いないように努力して、天地に恥じない道を歩もうとしているのです。もちろん、その未来は、栄光に輝いているという人生観を持つのです。私達は、手塚グループが求めようとしている世界観、そして、切り口として、歴史を辿って発想しているのです。それで、第一に、私にはこのグループを歩む資格があるかという事です。第二に環境乱れの原因、第三に環境の主管について述べていきたいと思います。もちろん、そのような観点から、どのように生きることが、大切であるかという事です。
 第一に、青春時代から自己管理を徹底して、苦難をもろともせずに歩んできたのです。天から見放されているという実感をしましたが、それでも、苦にも留めずに歩み続けて今があるのです。将来の栄光が、余りにも大きいという自覚があったのです。そしてその自覚は成就するに至ったのです。苦労の絶頂の時では、私ほど苦難に出会っている人はいないという自覚を持つほどでした。友達は、大学でエンジョイして、就職も一流企業に勤める等のニュースが入ってくるのですが、今が未来の為の準備の苦難の時であるという意識を強化したのでした。そんな姿がこのグループを率いる資格であると思っているのです。
 第二に、環境の問題です。本部道場を一歩踏み出すと、歓楽街が埋め尽くしていました。この環境は乱れた環境であると思っていました。飲まれてしまったら自己破滅をもたらすと、乱れた環境には近づかない意識でした。もし近づけば、自分の意志で虚無に服してしまうという危機意識は強かったのです。責任は、私にあるという自覚のもとに、正しい環境をどのように作っていったらよいのかという苦悶する日々でした。このような乱れた環境は、人の心に由来する事は間違いないのです。それだけに、家族をベースとする生き方の狼煙を上げることは重要であるという自覚でした。
 第三に、このような世俗の環境を正しく管理すべをマスターするという事でした。地域社会は、私がしっかりするという自覚と、私の家族が社会に対して正しく生きるという自覚、そして、極真会館手塚グループが社会に対して良い影響を与えていくという事であると確信するに至っているのです。当然、手塚クループの苦しみは、意味のない苦しみではなく、新しい世界の創造の為の苦しみであるという意識が強いのです。苦労は間違いなく報われるという信念は、今にして成就しているのです。もちろん、形が見えてきましたから、本格的な完成に向けて進むという自覚です。
 結論として、人として理想の状態へ向かって人生を歩むという事です。年齢が確かに67歳という歳を数えるようになっているのですが、苦難の道はこれからも続けるという事です。