2020年12月16日(八段語録3746)
極真の力(2)


 極真空手に出会って最大の悲劇は、途中で挫折してしまう事です。この事は何度も触れています。自分を追い込みすぎるからなのです。自分に重荷を課しすぎるのは良くないのです。当然、道場生が苦しむのは自然の理になるのです。稽古は厳しいのですが、これによって、平安と恩恵を味わうという寛容さが必要であると訴えるわけです。それで、今回は第一に、極真空手に入門した以前とそれ以降についての比較について語ります。第二に道場生にすでに起こった事についてです。第三に、これから道場生に起こるであろうという記述していきたいと思います。
 第一に極真に入門以前と以降についてです。そもそも、極真に触れていなければ、空手と無縁な訳で、そこで起きる、心身に及ぼす影響など考えることもできないのです。ところが、極真に触れると、今までにない変化が起きるのです。肉体には、空手の技術が身に付きます。それも地上最強の技です。さらに、それに伴って、地上最強の極真精神が身に着くのです。それは入門してから、同時に起きるのであり、徐々に浸透していくのです。入門以前の古い自分は脱ぎ捨てられるようです。古い性質は少し残るかもしれませんが、生まれ変わった自分に変身するのです。
 第二に、道場生にすでに起こった事についてですが、極真の義の冠を被ったという事です。これは地上最強です。肉体を駆使して、正しい道を追い求めようとするのです。また、心も生かされて極真の稽古を楽しむようになるのです。要するに、極真精神が内在するのです。これは、日常生活と分離不可能になるのです。今まで、何か曖昧な事をすることもあったでしょうが、極真の型を学ぶわけですから、正しい体の動き、そして正確な心の動きを求めようとするのです。悪の誘惑からの拒絶にも繋がります。
 第三に、道場生にこれから起こるであろうという事です。それは、私が感じているのですが、絶えず復活・新生する術を身に着けてしまうという事です。希望に包まれた未来を明るく照らすのです。日々に蘇らせる力が身に着くのです。要するに、私の心の沈んだ状態を改善させてしまうのです。これは、年齢が高くなろうと、益々燃え上がっていくのです。これは、極真精神からくる保障であり、確固たる事実なのです。
 結論として、道場生は、極真精神によって蘇ります。死すべき心の状態を生かしてしまいます。これは大山総裁が計画し、手塚会長が実行し、私が完成しようとする意気込みがあるというものです。道場生には心得ていて欲しいのですが、極真を始めてからの自分は違うという確信です。確かに気弱になってしまう事はあるでしょうが、稽古した瞬間変化をもたらします。極真精神は全面的に影響を与えるという事を実感するようになるのです。もうすでに、極真に入門した以前に戻ることは無いのです。それだけに、習慣的自己からの脱却が図られ、希望が全身を覆うというものです。