2020年12月14日(八段語録3744)
挫折からの解放。


 極真空手を修行して最大の悲劇は、途中で辞めてしまう事でしょう。このような状態になる道場生は、稽古せねばならないという自分を追い込むことによって起こる悲劇なのです。極真の道は心身とも戦いと葛藤なのです。道場生一人一人は、間違いなく「自己の戦い」に巻き込まれるのです。これは厳然たる事実なのです。そこで、今回は第一に、極真精神はレベルが高いのという事が、道場生の心が、地を這いずる思いがするという事です。第二に、極真の道の壁が高く長く感じてしまうという事で無力感が漂うという事です。第三に道場生は高い極真の理想についていこうとする心と、自分の内容がいかに無いかという事です。
そこで、このような状態を放置していれば、挫折につながっていくという事です。
 第一に、極真精神はレベルが高いという事で、心がついていけないという事に関することです。私も体験したのですが、極真の精神性と強さは、エベレストの山のように高く感じるものです。まさに極真の本質です。それに対して何と弱い人間であるかという自覚が強まってくるのです。極真に触れなければ、何にも感じなかったのに、稽古を始めるにつれて葛藤が生まれるのです。現実の自分と理想の自分との間の葛藤は激しくなるばかりなのです。そして、悪い事にマイナス方向に心が引っ張られて、駄目な自分を自覚して、その心に引っ張られてしまうという事です。この解決法を見出さなければならないというわけです。
 第二に、極真精神の壁が高く、無力感が漂うという事です。入門したのだけれど、道のりが長いという事で、歩み続けていく事が出来るのであろうかという事です。これは、私も通過してきたことなのです。また誰もが通過する道なのです。私の心が頑張らなければならないという気持ちに違いないのですが、それに反してマイナス発想を絶えずしてしまうという事です。この葛藤が、自らを滅ぼしてしまうという事になりかねないのです。入門したけれど心は解放されていない状態になるのです。このようなマイナス発想の根が深く、誰も打ち勝てないように思えてしまうのです。
 第三に、極真の高い理想についていこうとすると、自分の内容の無さが浮き彫りになってしまうという事です。どんな道場生にも、二つの性質を持つに至るのです。本当に極真空手をしたくて仕方がないという自分と、その心と違って、駄目な自分を自覚してしまうという事です。理想と現実の戦いが始まるのです。それでも、極真精神の実体を目指すという志を持つならば、解決することが出来るというものです。今は分からないかもしれないが、素晴らしい自己が未来に広がっているという事を信頼するという確信が必要なのです。本当に理想を追う道場生に変化して欲しいものです。
 結論として、極真の稽古に感謝して、理想的自分を未来に見据えて歩むという事です。私達道場生の心の二面性を確認して戦いを挑み、極真精神の虜になることが必要であるのです。確かに時間がかかります。私も五十年の歳月をかけてきました。途中で歩みを止めるとするならば、挫折してしまうのです。絶望と希望を連結させることができる道が、間違いなくあるのです。