2020年11月30日(八段語録3738)
極真精神を持つ喜び


 道場に入門した時点で道場生は、すでに私達の仲間なのです。それ故に、極真精神を持つ強みを紹介していきたいと思います。第一に、平常心が与えられ平和を保つことが出来るのです。第二に、極真精神にアクセスが許され利用する権利を与えられるのです。第三に、日々栄光に至る権利を与えられるのです。
 第一に平常心が与えられ、平和を保つことが出来るという観点で表現します。道場生の状態は、初心者であって技術的に未熟であろうが、五十数年におよぶ私であっても、等しく平常心が与えられるのです。極真に入門という一度きりの決意が、平常心を抱くことが出来るのです。平和な平常心は生活する上で最も重要な事です。極真精神が持つ強さから、多くの恐怖心が取り除かれるのです。そして、道場生が在籍している限り、現在進行形の状態で維持されるというものです。極真精神は、稽古に熱中する事により、道場生の姿勢を変化させるのです。次に道場生が自らの意志でもって応答するようになるのです。
 第二に極真精神にアクセスが許され利用する権利が発生するという事です。道場での稽古は、場所という位置的真理なのです。道場で稽古するという恩恵が、道場という場所で真実を獲得するのです。道場での道場生の成長は「オープン・ドア」の状態になるのです。いかなる不安や試練も道場の稽古によって乗り越えることが出来るのです。道場での稽古から離れそうになると、その恩恵は消えてしまいます。離れていく理由は、極真精神という恩恵にアクセスしないからです。私の実感ですが、極真精神は、私を励まし、守り支える超自然的な力なのです。恩恵を体験して自分の物にするという事が道場生に願われるのです。
 第三に日々栄光に至る権利を与えられるという事です。私の指導する内容は、技術的な面もありますが、それ以上に極真精神にアクセスする恩恵を教えるという事です。道場で稽古する限り、極真精神の相続人という事になります。栄光を受けようとするがゆえに、苦しい稽古も超えることが出来るのです。もちろん、先輩たちの成長を見ることは、目に見える望みであり、この道が栄光へ至る架け橋であると実感するようになるのです。私達の中に極真精神が根付くと、極真精神と共に、栄光の中に入っていくというものです。
 結論として、道場の素晴らしさは、自主トレと比べることができない程の恩恵が与えられるのです。道場での稽古による実践による体験は、自己を最大に引き上げてくれて大いなる人格者になるのです。また、道場での稽古は恩恵へのアクセスであり、経験と体験が自らを強くするのです。真剣に稽古をするならば、必要に応じで試練を乗り越えるパワーが与えられるのです。そして、最高の希望が稽古による極真精神にあるのです。