2020年11月26日(八段語録3736)
大山総裁・手塚会長・そして私


 極真の道は、私にとっては正解でした。理由は、日々足らなさを補う、努力の日々を過ごすことが出来るからです。段位の階段を上がるごとに、義の提供を受けるのです。私自身、極真に誇りを持ちますが、私自身を誇ろうとは思わないのです。段位が上がるごとに、極真精神を確立していこうと、努力を惜しまない日々でした。そこで、今日は第一に大山総裁、第二に手塚会長、第三に私自身という事で、義の流れを表現します。
 第一に大山総裁についてです。私が直接指導を受けた人は、地上最強の空手家大山総裁でした。池袋の総本部で、黒帯を締めてから四年の歳月通い詰めました。それが、試練の中での栄光の人生の原点なのです。私の人生のモデルを、大山総裁と決定して出発した青春時代でした。総裁は、空手界の風雲児で、直撃打撃のフルコンタクトを推し進めた偉人でした。晩年私生活において多くの問題が聞こえてきましたが、それでも押忍の精神で忍耐でした。
というのも、義人として「見做した」という事なのです。理由は、私を弟子として認めてくれたからという事です。要するに、例を挙げるとするならば、「収入もない私の通帳に入金」してくれた方だからです。
 第二に、手塚会長は、大山総裁の私生活での正しい道を「家族」という概念でカバーして下さいました。極真会館が強さだけを強調していた時に、家族と対話を強調して、世界に向けて適用した方なのです。多くを学びました。一日六時間以上の電話は、日常茶飯事で、四半世紀の間指導して下さったのです。「家族」「対話」「自然」を三大理念として携えて、世界中を手塚会長とわたしが駆けずり回ったのです。手塚会長は不倫と暴言という愚行を一番嫌がっていました。手塚会長は、健全な精神に健全な肉体が宿るという発想で、心を磨くことを前提にされていました。極真の中にあって、義人とは、この人の事を言うのだと思っています。そして、私の最大の師であり、大山総裁までもカバーして下さいました。
 第三に私自身という事です。奔放な個性なので、多くの人から批判を受けるのです。結果的に貢献するという形になりますが、手塚会長は、常にハラハラしていました。それだけに、電話での会話の時間は長くなるのです。相当教育的指導がありました。人としての倫理・道徳に対して細かく指導を受けました。オッチョコチョイの所が多分にあるので、枠を決めてもらい、外れない生き方を徹底して指導されました。選手時代は許されていたという事でも、指導者として、「しつけ」は厳しかったという事です。極真で生きるという事で、手塚会長と無条件契約をしたという事でした。そして、「印証」を戴いて今の責任を全うしようとしています。
 結論として、極真手塚グループの継承の「印証」を戴いたという事です。この「印証」は、日々チェックされているのです。当然外れた場合、自ら除名です。次の世代に移行しなければならないのです。それだけに日々緊張です。手塚会長の計画は、世界を家族で包むことです。それは、膨大な計画ですが、天上と地上での共同作戦をするという事で理解しています。