2020年11月15日(八段語録3730)
指導者は課題を越えていかなければならない


 師範をはじめ指導者には多くの特権を与えられています。それは、少数派という事であるからです。当然特権には責任が伴うものです。特権が与えられたとしても、それを活用しなければ、自らの成長は鈍るという事も自覚すべきであるという事です。今回は第一に言行不一致、第二に有段者の価値、第三に有段者の特権について考えていきたいと思います。
第一は、言行不一致という事についてです。有段者であり、成すべきことが何であるかを教えられているのです。具体的な修行の訓練を受けることができる環境がありながら、「愚かなものの導き手」になっているとするならば、課題があるという事です。極真の有段者は誇り高い栄光に輝いているという自覚があるのです。しかし、有段者になったことで胡坐をかいているかという事を検討すべきです。人を教えながら自分自身を教えないという事が起こっているのです。つまり言行不一致を随所にみるのです。指導者としての特権があるのですから、責任を果たすという事は必要な事です。指導者であるからと言って、優れているというわけではないのです。
第二に有段者の価値ですが、黒帯を締めているということは、それに相応しい律法守るべきです。黒帯自体に栄光の保障はないのです。外的にも黒帯、精神的にも黒帯であって初めて有段者という事になるのです。その誉は極真精神の伝統からくるのです。もし、黒帯に相応しい生活をしていないとしているとするならば、黒帯が自分自身を裁くという事を自覚すべきです。黒帯というブランドが、継続される威厳のある生活に上に下るという事なのです。アクセサリーという事ではないのです。
 第三に有段者の特権についてです。指導者である有段者と道場生は、同じベースに立っているという事です。ともに稽古で汗を流します。それでも有段者には特権があるのです。彼らは、多くの極真精神に長い期間触れているという事です。指導者として極真精神を委ねられているのです。また、極真で「選びの人」として認定されたのです。極真は今までの歴史を振り返って、また、私の人生を振り返っても真実なのです。私も四千にわたってブログに書き記してきました。すべては真実なのです。私の真実が無に帰してしまうという事は無いのです。ゆえに,有段者の特権は有効なのです。
 それで、指導者のゴールはというならば、少数派である指導者は、確かな自覚が必要という事です。「義認」の認定を受けるとするならば、足らなさを自覚して日々修行に励むという事です。間違っているとするならば、裁きは指導者であろうがなかろうが受けるのです。一人一人が覚醒して目覚めて欲しいものです。もちろん、私自身に対する戒めでもあります。