2020年11月8日(八段語録3724)
道場生との関係(二)


 前回で、第一に感謝すること、第二に道場生を抱くこと、そしてその為の役割と使命が道場生にはあるという事を強調しました。道場生の関係で使命意識が高まのです。というのも、今でも試練にさらされるのです。それでも、優先すべき仕事あるのです。仕事を土台として、道場生を正しく教育するという召命に預かっているのです。道場生の前に、極真精神を指導する、選びの器として歩もうとしているのです。私は、ヨーロッパ、ロシア、アメリカと極真精神を隈なく伝えてきました。もちろん、手塚グループの精神という事です。それだけに、いまでは、東南アジア・中東・アフリカ・南米も傘下に入ってきているのです。
 さて、初期に大山総裁から指導を直接受けたという事があり、ある意味で負債に思っているのです。総裁から受けた恩恵を、極真の全てに伝えていかなければならないという負債でもあるのです。私が入門した当時は、世界に伝えなければならないという雰囲気が漂っていました。例え手塚グループの会長と言え、私自身独自に歩むのではなく、あくまでも全世界に極真精神の伝統を伝えるという使命には変わりがないのです。そのような訳で、自分の務めを重んじているのです。それは極真会館全体の為になるのです。つまり、大山総裁から受け継いだ極真精神の共同相続者を集うという事でもあるのです。
 ところで、その使命は余りにも素晴らしいのですが、自ら高ぶらないように、謙虚な姿勢を保たなければならなくなっているのです。この年齢ですから、肉体の消耗は激しく、若い時のようにはいかないのです。もうすでに、私の力は弱さの中に現れるのであります。その弱さまでも、活用して弱さを大いに喜んで、むしろ弱さを誇ろうと思っているのです。それだけに、この立場に立っても、屈辱、苦痛、困難を甘んじて受けようと思っているのです。何故ならば、私が弱いときにこそ、私は強いからなのです。要するに、弱さの意味を理解して、それを誇るという事です。
 私のゴールは、使命意識から来るという事です。稽古こそ最高の労働であるという認識もしているのです。実に、稽古こそ、自ら栄光を表す生き方という事なのです。それだけに、実体を見せる事でもあり、言葉による極真精神の伝達がなければならないと思っているのです。もちろん、会長という立場にたったということで、自分の賜物を認識するという事も大切な事です。ある意味で、特別な使命意識を持というとしているのです。自分の務めを重んじて、他に刺激を与えていくという事も、道場生を育てるという事にもなります。