2020年11月4日(八段語録3722)
挨拶2


 この道に召命されたこと、さらに、心の絆を道場生と結ぶ必要性のためにこの文章を描いているのです。道場生と私が極真精神を共有している事の確認であります。本来でしたら、挨拶ですから、簡単に紹介していくべきなのでしょうが、情熱が上回ってしまって、極真精神の本質まで書こうとするのです。私の性格は、火がついてしまうと、その方向に夢中になって走ってしまうようです。実に極真精神の内容まで挨拶で語ろうとするのです。
すでに、極真精神の本質の話をしているのです。飾り物ということではなく、挨拶から真剣だということなのです。
 この精神について、いつ考えたのかというならば、手塚会長との対話の中で、二十数年前から書き上げてきたのです。どのような内容なのかということにも触れていきたいと思います。キーワードは「家族」「対話」「自然」なのです。厳密に、この作者は誰なのかというと、手塚会長と私との対話の中で生まれてきた表現なのです。ですから、対話に「神仏の力」が働いたという表現が正しいのです。それでは、いつ考えたかというと、会長との会話の記録を撮り始めてからということです。
 どのような内容なのかというならば、大山総裁の功績と改革しなければならない点が多かったのです。大山総裁の人としての分析が多かったのです。良い点と悪い点を列挙しながら、正しい指導者としての人間性の追求を、どのようにすべきかという会話が多かったのです。しかし、どうあれ、偉人として名を残したことに間違い無いのです。確かに世間に一大旋風を巻き起こし、栄えて、青少年教育を健全に推し進めて行ったのでした。総裁の人間そのものと、偉人としての姿の論評でした。また重要なテーマとしては、手塚グループの今後の行くべき方向性が話題でした。
 結論として、私自身、この道に召されたとという事を、強く意識しているのです。選び分けられた、事実の重みを実感しているのです。私の態度というと、手塚会長の意思をそのまま継承することに全力を注ぐのです。一点一画も崩さないという姿勢を貫くのです。入門してから半世紀も立っているわけですから、極真の歴史の目撃者ということでもあるのです。
確かに、この時期に生まれたということですから、この肉体の続く限り極真を走り抜くのです。それだけでなく、後孫に継承するという覚悟は必要なのです。