2020年11月2日(八段語録3721)
挨拶


 私自身、執筆の目的が何であるかという事を表現してきました。要するに、極真精神を組織論として表現するのです。それによって、各道場がお互に助け合い支援することとなることを理想とするのです。出来れば各極真団体の融合も図ることができれば望ましいのです。その目的を達成するためには、書き始めるということが重要であると認識しているのです。そのために、私を受け取ってくれる道場を繋ぐ作業が必要なのです。決して技巧的な文章を表現しようとは思わないのです。できるだけ、世界の道場と心の絆、信頼の絆を結ぶ必要があると思っているからなのです。
 現実的には、二つの情報を取り入れようと思っているのです。一つは極真精神と私の関係、次に、道場生と私がどのように極真精神を共有しているかと言う認識を持つかということなのです。今回は、私の立場を認識するということも必要であると考えているのです。要するに、会長としての私と道場生との間に絆を作っていくということと、この文章が必要なのかということにも言及して行くことも必要になります。私自身の紹介を兼ねて、極真手塚グループで稽古して行く生活の本質を確認するということでもあります。
 ところで、私の名は「よしみち」が本名なのです。しかし、武道を始めてからは、「ギドウ」と呼ばれるようになってきたのです。そして、今では「よしみち」ではなく、「ギドウ」として一般でも呼ばれているのです。呼ばれるようになった時期から、武道人生の全盛期になるのです。もし、通常「ギドウ」と呼ばれていなかったとするならば、ここまで極真空手に熱中してはいなかったのではないかと思われるほどであります。
 それだけに、自然と武人としての資格を得ていたのです。それだけでなく、自由意志に基づく苦行修行に入ったのです。極真空手に魅了されての奴隷のような難行苦行に入ったのでした。その苦行修行で経験した三つのステップがありました。初めに、先輩から痛め付けられるという苦行、次に先輩となって自由の身になった喜び、そして自ら選択して指導者となったという栄誉でした。もっとも不自由である立場から最も自由な立場に至ったと言うことです。最も低き所に下されたように見えた立場から、いつの間にか、もっとも高い所に引き上げらたのでした。結果、地上最強のまとめ役の称号に至ったのです。
 結論として、極真精神に召されたということです。会長という立場に立って、それが強い確信に変わってきているのです。もちろん、手塚会長の代理人であることに間違いはないのですが。実に、色々な先輩が居たと思うのですが、選び分けられて今の立場に立っているのです。それも、手塚会長が私の礎石なのです。もちろん、大山総裁が土台となっている事は間違い無いのです。そして、その資格を有して、私が立っているという自覚なのです。尚且つ、手塚会長の教えを広め、それを守るということが、私の使命とうことでもあるのです。